はじめまして。
このサイトを運営している「じゅんこ」と申します。
現在、50代でケアマネジャーとして働いています。
かれこれ30年ほど介護に携わってきました。
この30年の間に介護業界は大きく様変わりしてきましたが、問題は山積みです。
これから超高齢化社会を迎える日本にとって、介護は切っても切り離せない問題の1つになっています。
この文章を読んでくれているあなたは、介護の求人はたくさんあるものの、ご自身に合った職場に出会えず、大変な苦労をされているかもしれませんね。
私も現場で、様々なトラブルを見てきました。
私の経験を活かし、これから介護業界を担っていくあなたのサポートを、ささやかながらできたらという思いでこのサイトを立ち上げました。
あなたに合った職場で働くことで、あなたの笑顔が利用者さんの活力になり、穏やかな余生を過ごしてもらうきっかけとなるかもしれません。
介護は大変ではありますが、人の人生においてとても重要な役割を担う仕事です。
また、自分の人生を犠牲にして介護に携わる、昔ながらのやり方を変えていきたいと感じています。
あなたが仕事とプライベートを充実できるような提案もしていきますので、ぜひ参考にしてくださいね。
あまり長くならないように、私が介護士になるまでと、なってからの経歴を少しお話をさせてください。
私が介護を意識したきっかけ
私はもともと、熱い志を持って介護士を目指していたわけではありませんでした。
両親が共働きだったこともあり、子供の頃はおばあちゃん子で、学校帰りはいつもおばあちゃん家で過ごしていました。
私が中学の時に、祖父が脳梗塞で倒れ一命はとりとめましたが、左半身に麻痺が。
幸い歩くことは出来たので、祖母が介助をすることになりましたが、祖母も高齢のため全てのお世話をすることができません。
私の母が仕事をしながら、祖父母の生活をサポートするようになります。
このことがきっかけで、介護について少しずつ意識するようになりました。
私が高校へ進学したころ、祖父が散歩中に転倒し、太ももを骨折してしまいます。
高齢だったこともあり、治癒が思わしくなく寝たきりになってしまいました。
この頃の祖母は、買い物に行ってきたばかりなのに「買い物に行かなきゃね!」と、また出かけようとする。
「私のバッグがなくなった!」と騒ぐので探してみると、なぜか食器棚に入っていた。なんてこともありました。
軽度の認知症の症状が出始め、祖父のお世話ができなくなったので、母が仕事を辞めて介護に専念することになりました。
父と私も、母の負担が少しでも軽くなるように買い物や食事の準備を手伝うようになります。
母は何も文句を言わずに介護をしていましたが、本当は体力と精神的に参っている様子が伺えて、胸が痛みました。
それと同時に、大好きな祖父母がだんだん変わっていく様子に、寂しさと怖さを感じる日々が続きます。
こんな環境だったので、介護を意識せざるをえなかったのです。
最初に選んだ就職先
進路を考える時期になったとき、祖父母の介護の役にも立つと思い、介護の道へ進もうかとも考えました。
しかし、父や母からは猛反対。
介護によって、苦労をしてきた母は、仕事だとしても、娘の私に同じような苦労をしてほしくなかったんだと思います
それでも、祖父母と両親の支えになれるようにと、決めた就職先は保険会社の営業職。
この仕事であれば、給料面で両親のサポートもできますし、何かあったときのためのアドバイスもできるかもしれないと思ったからです。
営業職ということもあり、さまざまな企業・取引先・年代問わず、たくさんの方とお話ししました。
お客様のお悩みや人生について、貴重なお話を伺うことも多かったです。
もちろん、介護についてのお話が出ることも。
「自宅で家族が介護をする」というのが常識だった時代。
当時は、老人ホームに入居したり、デイサービスをうまく利用し
介護にあたる家族の負担を減らせるような環境は、あまり整っていませんでした。
私の頭の中は、いつも介護について考えていたなと感じます。
祖母の認知症の悪化
私が20歳になったとき、祖父は老衰のため亡くなりました。
1人残された祖母の認知症はどんどん悪化していき、歩けなくなり車いすに。
自分で食事をするのも難しくなりました。
記憶もどんどん失っていき、言葉も話せないほどに。
ある時、母が祖母に昔の写真を見せていました。
父と母の結婚式の写真を見た時に
「ほんまキレイやねぇ…」と祖母がつぶやいたのです。
言葉もほとんど話せなくなっていたのに、はっきりと言うので、側にいた母と私はびっくり!
食事の時は、あまり進んで食べる様子を見せないのですが
大好物のプリンを食べている時は、容器を手で押さえて空っぽになっても離さないこともありました。
介護の大変さや大好きな祖母が日に日に衰えていく姿に胸を痛めていましたが、
時折ほっこりするようなできごとがあり、介護の仕事に魅力を感じていました。
「やっぱり私も介護の職に就きたい!」
心の中で介護に対する思いがこみ上げてきました。
しかし、介護職は体力・精神的に重労働で、時間も24時間態勢で不規則なのに安月給。
それなのに、介護の資格をとるには受験費用と研修時間がかかります。
まずは今の保険業である程度貯金をし、本格的に介護業界へ足を踏み入れるときに備え、祖母の介護や参考書などで勉強し準備を始めました。
いざ介護業界へ
22歳になったころ、介護業界へ転職しました。
最初に選んだ場所は、特別養護老人ホーム。
祖父母の嗜好を受け継いで、演歌や時代劇が好きだったこともあり、利用者さんとはすぐに打ち解けました。
資格取得も、学生時代から祖父母の介護を手伝ってきたので、難なく取得。
25歳ごろには介護福祉士の資格を取得し、確実にキャリアアップの階段を駆け上がっていきました。
1回目の転職
介護福祉士として働き、チームリーダーとして現場の管理や後輩の指導を担当するまでになりました。
やはり体力・精神面、給与面での厳しさに、人の入れ替わりが激しいです。
私よりずっと年上のお局様にチクチク嫌味を言われてしまったり、その人の気分で大変な仕事ばかりを任されることもありました。
また、利用者さんの中にはもともとの気難しい性格と認知症などの症状が重なり
他の利用者さんや職員とトラブルを起こしてしまう方もいます。
そういったトラブルさえも黙認してしまう職場には、私もガッカリ。
職場や上司に不信感を抱いていた私は、利用者さんに合った介護計画も、本当に大丈夫なのだろうかと心配でした。
ここは私がケアマネジャーになり、利用者さんが安心できて、職員同士の連携も強固な職場を作っていきたいと思うように。
ケアマネジャーになるためには、他の施設の状況も見ておきたいと思い転職することを決めたのでした。
次の転職先は、認知症高齢者を対象にしたグループホーム。
看護師の配置が義務付けられていないので、医療体制が整っていないと、入居できない利用者さんもいます。
医療体制の構築や、利用者のご家族とも密なコミュニケーションをとる必要があるので
ケアマネジャーとしての手腕も問われる環境だなと感じました。
ここでケアマネジャーの資格を取り、経験を積みました。
プライベートでは30歳の時にずっと付き合ってきた広告会社に勤める彼と結婚。
33歳で息子を妊娠・出産。
1年の育休を経て、34歳で職場復帰しました。
2回目の転職
育休から同じ職場に復帰をしましたが、1年の間に職場の雰囲気は様変わり。
知らない職員がたくさんいました。
それでも、産休に入る前に態勢をしっかり組んでおいたおかげか、仕事や人間関係のトラブルは、どうしても起こりうる最小限で済んでいました。
自分の子どもがよく熱を出す子だったので、休みをもらったり早退をすることもしばしば。
日勤のみで、もう少し勤務時間に余裕のある職場に移りたいと考えるようになりました。
そこで選んだ次の職場は、居宅介護支援事業所でのケアマネジャー。
在宅で介護をしている方の介護計画だけでなく、その方に必要な施設をマッチングしたり介護全般の相談を行います。
利用者さんのお宅訪問や各事業所との連携で、フットワークの軽さも求められますが、
自分で仕事の量を決められたり、スケジュールの調整がきくので、まだ子供が小さい私には合っていました。
居宅ケアマネの仕事は、利用者さんとご家族との信頼関係を築きつつ、各事業所の担当者とコミュニケーションをとらなければなりません。
利用者さんとご家族の希望が合わない、各サービスとも都合が合わず、うまくいかないことも。
認知症などの病状が進んでいる場合は、今日はうまくまとまっても、次回伺った時には希望が変わっている時もあります。
正解がなく、頭を悩ませ苦しく感じるときもありますが、
今、何が一番必要なのかを見極め、利用者さんとご家族の最善の提案ができた時には、一言では語れない感動とやりがいを感じます。
しかし、それで一件落着ではなく、都度、介護計画は変えていく必要があります。
常に頭も体もフル回転なので、いつまでもパワフルにハツラツとしていられるので、50代だということを忘れてしまいます。
自分の親と同じくらいの方たちと接するので、娘のように可愛がってもらったり若いと言っていただけるのもうれしいですね。
正解がないからこそ、自分ができる最大限の実力を発揮しようとチャレンジし続けられることにも魅力を感じています。
介護は魅力がいっぱい
介護現場は過酷。
それゆえに介護職に対して、否定的な意見を持っている人はまだ多いかもしれません。
しかし、私はそれ以上に尊さを感じています。
最近では戦争を経験した方はぐっと減ってきましたが、
長い人生の中で、喜び・哀しみ・病気・死別…。
私には想像しがたい経験をされてきた方がたくさんいらっしゃいます。
だからなのか、職員の不手際にも
「いいんだよ」
「いつも大変な思いをさせてしまってごめんね」と
気遣ってくれる懐の大きさに、職員が救われることが多いのです。
中には認知症などの症状で暴言や暴力をふるってしまう方もいますが、その方も本心では、
思い通りにできないやるせなさや、深い悲しみを背負っていることもあります。
決して否定はせずに、常に寄り添うことを心掛けていると、黙って飴をくれたりするんです。
(さっきは申し訳なかった)と。
言葉はなくても伝わる思い。
どんな利用者さんでも、人生の大先輩方の余生を一緒に過ごせることに、魅力を感じてやみません。
- 自分に合った職場を見つけられるように。
- 辛くて苦しい介護にならないように、改めて介護の仕事の素晴らしさを感じてほしい。
- 仕事もプライベートも大切にできる働き方ができるようになってほしい。
あなたが介護の仕事を、やりがいを持って続けていけるように、情報発信してまいります!